宗教法人 曹洞宗 安楽寺 信州の鎌倉 別所温泉

『建長(鎌倉の建長寺)と塩田(安楽寺)とは各々一刹により、或は百余衆或は五十衆、皆これ聚頭して仏法を学び、道を学ばんことを要す云々』

 これは大覚禅師語録(建長寺開山蘭渓道隆の遺著)の一筋です。これにより、安楽寺は鎌倉時代中期、すでに相当な規模をもっており、信州学海の中心道場であったことがうかがわれます。
 鎌倉北条氏滅亡(1333年)後は寺運も傾き、正確な記録は残りませんが、当時の国宝、重要文化財等を多く貯蔵する、信州最古の貴重な禅寺となっています。

2020.04.25 八角三重塔の拝観休止
2020.03.10 安楽寺報37号
2019.04.19 安楽寺報35号
2018.09.06 安楽寺報34号
2018.03.15 安楽寺報33号
2017.08.22 安楽寺報32号
2017.06.19 安楽寺報31号
2015.08.23 安楽寺報28号
2015.02.12 安楽寺報27号
2014.09.05 安楽寺報26号
2014.03.05 安楽寺報25号
2013.10.07 安楽寺報24号
2013.02.13 安楽寺報23号
2012.09.02 安楽寺報22号
2012.03.02 安楽寺報21号
2011.03.07 安楽寺報19号
2010.10.07 安楽寺報18号
2010.03.03 安楽寺報17号
2009.08.25 安楽寺報16号
2009.02.21 安楽寺報15号
2008.08.23 安楽寺報14号
2008.02.21 安楽寺報13号
2007.08.30 安楽寺報12号
2007.03.03 安楽寺報11号
2006.09.06 安楽寺報10号

 コロナウイルスの影響により、一部の行事は取り止めとなりました。

3月 15日 やしょうま
中止 チャリティー寄席
中止 涅槃図絵解き
29日 クラフト販売開始(沙羅の会)
4月 29日 花まつり(法輪寺)
5月 8日 花まつり
8日 写経会
21日 塩田平札所めぐり
6月 8日 写経会
7月 6日 写経会

 安楽寺のホームページへ、ようこそおいでくださいました。

 安楽寺にお見えになる方で、よく「私は信心が足りたくて……」とおっしゃる方がおいでになりますが、それでは信心とは一体なんでしょうか?

 福井永平寺を開かれた”道え禅師”のお言葉に「善堤心を起こすということは己未だ渡らざる先に一切衆生を渡さんと発願し営むなり」とあります。
 『善堤心』というのは、信仰心のことです。
 『己未だ渡らざる先に一切衆生を渡さんと発願し営むなり』とは、自分のことばかりではなく、他の人や物のことも考え、共に生きていこうという願いを持ち、行動していくことです。つまり、己のことばかりではなく、周りの人や物事に対して、どのように思いやりの心を注ぐことができるか、ということが大切になって参ります。
 このように考えてみますと、深い浅いは別として、信仰心のない人は少ないと思います。ただ、そこに衆生=仏という捉え方の裏付けがなければなりません。

 先人の言葉に「衆生本来仏なり、水と氷のごとくにて、水をはなれて氷なく、衆生の他に仏なし」とあります。
 それぞれの立場で、もう少しずつでも、他の人や物のことに思いをはせられる自分になりたいものです。

 身近にも、増しては世界にも、あなたの力を必要としている人や分野がたくさんあります。心のアンテナを高く上げて、周りにも目を向けてみましょう。

若林 恭英 合掌

 天童寺は、中国浙江省寧坡市の東部にある、中国でも随一の規模を持つ寺院です。山並みを生かした敷地面積は7.6万平方メートル。天王殿、大雄宝殿、法堂および鐘楼などを含めると、建造物は999にも及びます。

1223年 道元禅師が入宋、13代天童寺住持如浄禅師に師事。
1227年 道元禅師が帰国、福井県永平寺開山。(曹洞宗の開祖)
樵谷惟仙禅師が入宋、14代天童寺住持別山祖智禅師の会下。
1246年 樵谷惟仙禅師が帰国、安楽寺開山。
幼牛恵仁禅師が来朝。(安楽寺二世)
1467年 雪舟が入宋、明代憲宗皇帝に天童第一座を賜る。
1983年 天童寺が中国漢族地区の仏教重点寺院に認定。
1994年 天童森林公園が国家森林公園に認定。

 天童森林公園は、中国三大森林公園の1つで、430ヘクタールの敷地面積を有します。毎年60万人を超える観光客を迎え、仏教観光リゾートとして発展しています。

『何となく昔覚えてたふとしや おくもはるかの峰の山寺』石亭の短歌より

 北向観音を出た先に、『崇福山』と記された黒門があります。安楽寺の境内に続く、最初の入口です。
 寛政4年、1792年、江戸時代。安楽寺13世 南沖仏鯤 和尚によって建てられました。

 崇福山とは、安楽寺の敷地内につけられた山号です。
 古く、修行の場として、静かな山あいが好まれました。寺院を開山するにあたり、つけられるようになったと言われています。
 開山した当時の名残りもあり、現在では、市街地の寺にも山号がふられています。

 夏になれば、黒門を下った右手を、蓮の葉が一面に覆います。
 度々、行き交う人々が足を止めては、観賞に浸るスポットです。

 安楽寺の駐車場を上がると、弁天堂があります。七福神のお一人、弁才天をお祀りする、小さなお堂です。
 音楽・弁才・財福・智慧と、4つの德を備えた天女として親しまれています。

 杉、アスナロの並木道を進めば、寺院への正門です。
 ちょうど正面に、本堂を臨むことができます。

 山門を潜って左手のお堂には、四国八十八カ所礼所勧請仏の七尊と十六羅漢尊者が奉安されています。

 元禄6(1693)年、江戸時代。当時は身近に、四国八十八カ所の礼所のような巡礼の場がありませんでした。そこで、塩田組(上田市千曲川の左岸地区)の庄屋を始め、村々の寄付により、同様の尊像の制作を、京都の仏師に依頼。塩田の寺堂に数体ずつ、分けて置かれるようになりました。

 十六羅漢堂の『羅漢』とは、不生・殺賊・応供とも言い、修業者が到達する最高の位を表します。古来より、十六羅漢、五百羅漢などの尊称として扱われてきました。
 禅宗では、迷いの世界から脱し、煩悩を捨て去り、無量の功徳を得て、他の供養にあずかる資格のある聖者を、仏法護持の尊者として、羅漢堂にまつる習わしがあります。

 十六羅漢堂を参拝し、右手を振り返れば、どっしりと、地方最大級の袴腰鐘楼がそびえ立っています。
 明和6(1769)年、江戸時代に建設された和様と禅宗様の折衷様式です。

 宝歴年間の古鐘は、太平洋戦争中、金属供給のために使われました。
 現在の洪鐘は、昭和32年に、鋳師 香取正彦によって造られたものです。平和余韻第16号朝鮮様の梵鐘となっています。

 安楽寺では、ご本尊に釈迦牟尼仏(お釈迦様)。両脇に文殊と普賢の菩薩をまつっています。
 落ち着きのあるたたずまいをかもし出す、昔ながらのかやぶき屋根です。

 本堂に突き当たって左の階段から、八角三重塔へ向かうことができます。参道沿いには、重要文化財や記念碑の多くが立ち並びます。

 経蔵(上田市指定文化財)は寛政16(1784)年、江戸時代。宇治の黄檗山萬福寺から購入した鉄眼の一切経(6956巻にも及ぶ仏教の百科事典)を保管するために建てられました。
 宝形造の屋根、銅板ぶきの壁など、代表的な造りの蔵です。

 内部には輪蔵(上田市指定文化財)が設置され、お経を読む上での利便性が追求された、八角形の回転式書棚のようになっています。これを回せば、文字の読み書きができない者も、お経を読んだ時と同等の功徳を得られるとか……。
 古来からの習慣により、そばには考案者の傅大師をまつっています。

『老いの眼に観る日のありぬ別所なる 唐風八角三重塔』

 多彩な四季の移ろいを見せる、安楽寺の情緒豊かな建造物は、一度、訪れた人々の心を何度くすぐったことでしょう。
 中でも、そんな風景を繊細に描き、日常を歌った『境涯詠』で有名な窪田空穂歌碑が、一画に刻まれています。

1877年 和田村(現在は松本市和田)で、窪田空穂が誕生。
1964年 地元の人々により、窪田空穂歌碑を建碑。
1967年 東京にて、窪田空穂が死去。享年91歳。

 本堂脇の池を囲む踊り場では、満州開拓団慰霊碑とともに、お地蔵様が静かにたたずんでいます。

『山かげに 松の花粉ぞ こぼれける ここに古りにし み佛の像』

 島木赤彦歌碑につづられた詩は、大正12年の春、別所温泉へ遊びに来られた際のものです。

 林を突き抜けて、入り組んだ階段は、さらに山腹へと伸びていきます。その右脇で、『寂光尊』と掲げられたあずまやの下、水子地蔵尊もまつられています。

 並んで、傳芳堂に収められた2体の和尚像が、詩にも登場する『み佛の像』です。

安楽寺開山 樵谷惟仙 和尚像(重要文化財)

 惟仙は樵谷と号した禅僧で、木曽源氏の出自と言われています。

 像は胎内墨書銘により、鎌倉時代末期の1329年に造られたことが記されています。惟仙が亡くなってから、数十年後のことです。

 作者は大工の兵部。髪をそり、頭をまるめ、微笑をたたえる表情は、いかにも写実的であり、時代の趣向を捉えています。肩を豊かに張り、どっしりと安定した容姿から、生前の面影がうかがえます。

『伝ふらく求道入宋の開基像 木曽の源氏の族なりという』空穂の短歌より

安楽寺開山 樵谷惟仙 和尚像(重要文化財)

 恵仁は幼牛と号し、惟仙にしたがって来朝した中国僧です。

 作者名はありませんが、惟仙像と同時期に造られ、作風も似ていることから、木像の頂相彫刻(禅僧の肖像彫刻)としては、古いものにあたります。
 やせ型のつつましくも鋭い表情は、巧みに個性が表現されていると言えるでしょう。後世の頂相彫刻が無駄に技を押し出しているのに対し、写実迫真の趣を失わない見事さです。

『一切の虚無と感じてねんごろに 虚無に行ぜし僧が像拝す』空穂の短歌より

 最上階に位置する三重塔は、松の間からも、こちらを見下ろす、その重厚なたたずまいがうかがえます。
 昭和27(1952)年3月29日、国宝に指定されました。

 禅宗様(唐様)八角三重塔という大変、珍しい建築様式であり、初重にもこし(ひさし・霜よけ)をつけ、外見は四重塔に見えます。
 内部には8本の母屋柱があり、周囲を外陣とし、化粧屋根裏を表します。八角形の内陣には高床を張り、仏壇を置きます。天井の中央につった点蓋や、その周囲に張った小天井など、どれも技巧の尽くされた造りとなっています。

 安楽寺の栄えた鎌倉時代末期に建てられたものと考えられていますが、詳細は不明です。資料が乏しいため、造られた経緯も定かではありません。
 塔の起源は、インドのスツーパとされ、当初は、元来仏舎利(釈迦の遺骨)を奉安する目的で造られていましたが、中世以降では、特定の人物や戦死者の供養としても用いられています。

 奈良西大寺、京都法勝寺などの八角塔が失われた今日、安楽寺八角三重塔は、日本に残された唯一の八角塔です。禅宗寺院に残る塔としても、極めて貴重な遺産と言えるでしょう。

拝観料 大人300円(20名以上240円)
小中学生100円(20名以上80円)
拝観時間 3月~10月 8時~17時
11月~2月 8時~16時

 安楽寺の最寄り駅は、別所温泉駅です。

東京駅 名古屋駅

北陸新幹線(1時間半)

しなの特急(3時間)
篠ノ井駅

しなの鉄道線(30分)
上田駅

上田電鉄別所線(35分)
別所温泉駅

 安楽寺の最寄りICは、上田菅平ICです。

練馬IC 小牧JCT

関越自動車道(80km)

中央自動車道(160km)
藤岡JCT 岡谷JCT

上信越自動車道(95km)

長野自動車道(4km)
上田菅平IC 岡谷IC

国道18号など(15km)

国道142号など(54km)
別所温泉
お問い合わせ・お申し込みはこちらまで
宗教法人 曹洞宗 崇福山 安楽寺
〒386-1431 長野県上田市別所温泉2361
TEL:0268-38-2062 FAX:0268-38-2133